まむきょんは子供のころから音楽好きでした。
幼少期
小さな頃から、お正月などに親戚が集まって宴会になると、大人に
うららー♪と踊りまくり、まるでちびまるこ・・(同世代です)
今から40年以上昔の日本の家庭は高度成長期の核家族のステイタ
ピアノ、エレクトーン教室、そろばん・・などが流行っていたよう
通っていた幼稚園の終了後に週1度行われるヤマハ音楽教室に4歳
今なら、プログラミング教室、英会話教室・・最近はYouTub
私も行ってみたい・・(笑)
両親とも楽器はできないし、歌も下手だったので、普通なら音楽関
おそらく、家が商売(薬局です)をやっていて、子供に早く帰って
最初は音感教育。音に合わせてカスタネットやタンバリンを持って 音符の長さに合わせて叩いたり
休符の長さに合わせて音を止める・・など。
リズム感が良かったようで合奏なども楽しくて、毎週その日が来る
ピアノの鍵盤の絵がついたかばんの中に缶ペンケースを平べったく
あけると裏に5線が引かれていて、丸いマグネットがいくつもあって。音程をマグネットでつけておたまじゃくしを楽譜にしていく作業と
音階というのはこうなっているのね・・など、スポンジが水を吸収
今の私とは大ちがい!!
小学時代
小学校入学する頃には楽譜をある程度初見で弾けるようになってま
とまあ、そんな感じで おだてられるとどこまでも木に登れる子供でした。
中学時代
小学校高学年から中学、高校時代は 合唱コンクールには必ずピアノを弾くはめに。
たまには歌いたいと思いながらも一度も合唱できずに卒業しました
作詞や作曲も調子に乗ってやるようになりました。
幼稚園の頃の、講師をやっていた先生が実は近所のピアノ教室の先
カセットテープに録音して、夏休みのラジオ体操のあとにそのカラ
最初の挫折は中学2年のとき・・
ある日、学校から帰ると、大好きだったそのピアノの先生が、うち
もう教えるものはなくなったので、私より上手な先生を紹介します
おそらく両親の裏工作もあったのでしょう。私が何かモノになるよ
スパルタのめっちゃ怖い女の先生に代わることになりました。
楽譜に載っているペダルを踏むマーク(サスティンペダルといい、
・・演奏しながら音が変に重ならないように絶妙なタイミングで踏
これ、けっこう難しいんです。
体感できれば、慣れれば簡単なのですが、そこまでに少し時間がか
前の先生だったら、おそらく、こうやってみて・・と自分が先に弾
おそらく、私が先生でもそうやって教えたと思います。
でも、新しい先生はちがいました。
「ちがう・・」としか言いません。
何度も何度も、そこで、止まります。「もう一回」と言われます。
繰り返します。
でも、どうちがうのかわからないので、また同じところで「ちがう
そして・・
「こうするの!」と言って、ピアノを弾く私の右足に自分の足を乗
何度も踏みつけられてとても痛くて・・ペダルの感覚を覚えるどこ
(その先生けっこう大柄な女性でした・・背も高くて私には山のよ
そして「じゃ、来週までにできるようになってきてね」で終わり、
玄関で靴を履こうとしたら腫れてて履きづらかったです・・。
次の週、レッスン行ったかなあ・・それははっきり覚えていません
だんだん理由を見つけてサボるようになっていきました。
親にバレて叱られるのも嫌だったし月謝を持って現金で払っていた
でも毎月だとばれるからすこーしづつ・・。
ペダルの踏み方以外にも、
練習するのはクラシックですから、基礎練習が多い。
発表会だけは他の子と一緒にアンサンブルも連弾もあるので、それ
でも、通常のレッスンのときは、中間試験や期末試験と重なるとか
いろいろ理由を付けては休み・・
その間も練習量もどんどん少なくなってますからなかなか上達もせ
家では小学校高学年からはすっかり洋楽にはまり、お小遣いをため
これがまた楽しい!
自分の好きな曲を、楽譜どおり、などの型にはまらず、自分の好き
大好きな曲なので、弾けるようになるまで何度も何度も聞いてはひ
この頃はクィーン大好きで(^^)
ボヘミアンラプソディも耳コピしました!
そして1曲弾けるようになったら、また次にやりたい曲が出てきて
音大とか行かなくても好きな曲だけ弾ければいい・・もうクラシッ
ちょっと長くなってきたので次回に高校以降のお話を・・・