ニュージーランドに住み始めた頃のお話です。
前のダンナと日本食のレストランをオープンするために
雇われて、仕事を辞め、家を引き払いNZへ。
ただただ英語圏のどこでもいいから住みたいという夢だけで
なにもかも捨てて、行ってしまったため、
失敗は許されなかったのだけど、
当時は英語もほとんどできず、旅行者レベル。
ビジネスの会話なんて無理・・という感じでした。
でも、着物を着て、女将をしろということで
着付けの練習だけはしていきました(笑)
オープン前のリサーチ班のワーキングホリデーの
人たちが経費を使いきってしまっていたため、
オープン直前(3日前)に着いて
テイクオーバーしたときには既に大赤字からのスタートでした・・
聞いてないよぉーー(byダチョウ倶楽部状態です・・)
到着していきなりのお仕事だったので、
もちろん旅行もできず・・
なんと半年間、お給料もでませんでした・・(泣)
このままでは前職の貯金を切り崩し、無一文で帰国か
どうしようもないなあ・・と思っていた4ヶ月くらい過ぎた頃・・
レストランにニュージーランド人の女性2人組が
やってきました。
二人の食後を見計らい、お皿を片付けにテーブルに行くと、
1人が「とても美味しかったわ、素敵なお店ね、ただ・・」
テーブルの横の壁にかけていた額縁に入れた日本風の絵を指差し、
「これを描いた人がとても不幸な亡くなり方をしたみたい・・
これは外したほうがいいと思うわ」
と言われました。
日本からレストランの壁に飾るために買った
かぐや姫が乗る牛車が天に昇っていくような絵のハンカチを
額縁に入れたものでした。
何枚か買ったうちの1枚。
すぐに外して額縁ごとワイン倉庫へしまいました。
すると・・
その翌日のことです。
ご夫婦かな?カップルが来て、
焼き鳥や鍋、天ぷらなどを
食べてワインを飲んだ後、
シェフを呼んで欲しいと言われました。
前のダンナは英語がダメだったので、
NZ人ウエイトレスの子が通訳してくれて
話をしたところ、男性が、
「地元の新聞記者です。
このレストランの記事を書きたい。
この焼き鳥のたれはどうやって作ったの?
とても美味しい!
レシピもあわせて教えて欲しい」
ということになりました。
その翌日、
小さな記事が掲載されました。
すると
お客さんがたくさん押し寄せたのです。
そこから半年以上、小さな記事の切れ端を持った人がたくさん・・
電話の予約も入るようになり、
私もようやくお給料をもらえるようになりました。
まだインターネットが普及する前のお話です。
Windows95が世に出る5年くらい前 (笑)
情報は新聞やラジオ、テレビがほとんどだったし、
世界的な寿司ブームもまだ来ていないころのお話です。
絵を外すように言ってくれた Gladnis (グラドニス)という女性は
その後、
私が帰国するまでいろんなことにアドバイスをくれる
親友となりました。