検査だけでへとへと・・泣
検査、入院手続きがおわり、
ようやく帰宅。 途中
車の中で口数も少ない暗い雰囲気・・
その後の夕食・・
食事も喉に通らないほど痛かったようです。
何かモチベーションのあがる方法はないかなあ・・
このままだと、直前で
やっぱりやめよ・・ってなりそうでした。
でも、パンパンの首は
やっぱりこのままではいけない・・という感じです。
強いアメリカ女に変身して登場の娘
さて、その数日後、娘が帰国しました。
しばらく見ないうちにちょっと太った・・って言ったら
怒られそうだったので、おっきくなった?(笑)
LINEもあるので、実は少し前に一部始終の事情は
話しておきました。
旅行から戻って荷物をまとめているくらいの
時に。
あちらで病気の名前や内容を聞いて、
周りの人が驚いて相当慰めてくれたようで
逆にそれで、状況を把握したようで
相当焦ったらしい・・・
やはりぎりぎりまで言わなくて良かった・・。
帰国した娘はずいぶん揉まれたらしく、
強い子になっていました。
親に対してもキツイ言い方になって・・
自分を守る術を身に着けるというのは
そういうことなのかもしれないけれど、
優しいのが取り柄だったのに、なんでも論破して・・
アメリカ的強い女になってました。
でもおかげさまで頼りがいが出てきて助かりました。
私にはパパを明るくすることができなかったけど、
娘と面白い冗談を言ってじゃれあっていると
パパはとても楽しそうで、このまま何もしなくてもいいかも・・
とまで思えました。
でも、首の腫れは更に大きくなり、
神経を圧迫し、頭痛がひどい状態までになり、
頭痛薬を処方してもらい、やり過ごしていました。
そして 入院、手術へ
大好きな音楽がたくさん入ったウォークマン、
小さくてもいい音がするスピーカーなど万全の持参で
個室へ入院。
手術は翌日の午前11時からでした。
手術室の入り口まで一緒に歩き、
「いってらっしゃーい^^」
私と娘はPHSを持たされ、病室、カフェなどで時間をつぶし、
待ちました。
1人だったら・・何してたかなあ・・
結局、夕方5時過ぎまで手術は続きました。
なんと!ステージ4だった・・
呼び出されて、朝、「いってらっしゃーい」
を言ったドアの前まで、迎えにいくと、
まだ麻酔が効いているパパが
ストレッチャーに乗せられて運ばれて、
そのまま病室まで。
その後、先生が出てきて、
少しお話。
「取ったやつ、見ますか?」
「はい、見ます。お願いします」
すると、一度戻った先生、
銀色のトレーにガーゼに包んだ大きな塊を乗せて、
戻ってきました。
びっくりするほどの大きさでした。
大人の男の人のこぶし2個分くらいのものです。
写真も撮りましたが、ここに載せるにはちょっと
気が引けてしまいます・・
「ずいぶん大きくなっていて、神経に癒着している
部分もあったので、神経をそぐように引き剥がしたので、
声帯、顔の片側、肩の前の部分の神経など数箇所に
麻痺が残る可能性があります・・
話はできますが、歌などの音程を取るのは難しいかも。
また腕を前に伸ばして上げ下げができるように
なるかどうかも、今のところわかりません・・
動かなくなってくると顔の片方の筋肉も
落ちてくるので形が変わってくるかも・・」
など説明されました。
あんなにおっきくなってたんだ・・。
そりゃ頭痛もするし、首も回らないよね・・。
神経がどう麻痺するのか、まだわからない。
リハビリで治るかもしれないし・・・
今、聞いていることは嘘かもしれないし・・・
など、わけのわからないことを頭ではぼーっと
考えながら、
「ありがとうございました」としか
言えませんでした。
それを病理検査に提出し、漏れ出していなければ終了。
がん細胞が漏れ出していたら、抗がん剤と放射線治療の併用。
それがわかるのは2週間後とのことでした・・・。
ちなみに、
今さらなんですが・・・と先生に質問。
「あの・・パパのがんって、ステージで言うとなんになりますか?」
↑先生がずーっと言わないので、聞いていいものかどうか
わからず、聞きそびれていたので
ようやく聞きました。
そして、そのお返事は・・
「うん、この大きさだからねえ・・4ですかね・・?」
さらっと・・
えええええーーーーーーーーーーー!?
知らなかった・・・。
パパのがん闘病記 その7 へ続く