パパのガン闘病記

パパのがん闘病記 その1

 

パパのがんについて(序章)

うちのパパのお話です。

数年前のお話になるのですが、あるとき、がんが見つかりました。

世の中、2人に1人が がんにかかる時代と言われています。
でも、自分や、家族に降りかかって初めてがんについて考えさせられます。
誰でも悪いときのことはできるだけ考えたくないですよね。

確率は50%かもしれないけど、
50%はかからないわけだし・・・。

なってみて、初めてわかったこと、困ったこと、
たくさんあります。

その辺をお知らせしていきたいと思います。

欲しい情報、これだ!という情報がない!!

ネットの情報は雲の中で浮いているレゴブロックの
かけらを掴むようなものでした。

何が正しくて何が間違っているのかもわからない。

目の前にいるお医者さんは本当に信用できるのだろうか?
手術しなかったら死ぬの?
抗がん剤や放射線治療をしなかったらどうなるの?

がん保険のCMはやたら見るし、芸能人の人が出てきて
やっぱり助かりました・・・なんて言ってる。

あれはがんになる前に入りましょうということで、
例えばがん保険は、がんになった後はもう入れないんです。

たまたましばらく保険業をしていたので、
そのときいろいろ勉強しました。
入っておいて本当に良かったと思えます。

家を購入する夢があったので、団体信用保険に
入るつもりでしたが、今だと、入れないです・・

CMはそこをもっとしっかり言ったほうがいいと思うな。

フジテレビ辞めてフリーになってすぐの笠井アナ、
水泳の池江璃花子、堀ちえみ、
樹木希林、高須クリニックの院長先生 などなど

有名人だけでも短期間にたくさんいます。

一般人の私たちにはもっともっといるはずだよね。

うちのパパががんになって、1年近く仕事休んで
ひととおりの治療をして、仕事に復帰して、
そういいながらも放射線治療の副作用の味覚障害と戦い、
月1度の経過観察が3カ月おきになり、
ようやく少しずつ元に戻ってきたかなと思うまで、約2年。

でも完全に戻ることはできません。

手術で首のリンパを切除したあとに残る
切った部分の組織の繊維化・・
まわりの筋肉の硬直による首の痛みやこわばりは
一生元に戻ることはありません。

がんを取り出すときに、喉の声帯の近くに癒着していた
部分の神経を引っ張ってはがしたために
伸びてしまい半分の声帯は麻痺したままです。
が、
人間は半分の声帯でもだんだんうまいことかばって
うまく音程を出すことは日々の訓練で
できるようにはなってきます。

手術直後は音程が一定の一時期よくテレビに出ていた
格闘家?プロレスラー?の人みたいでした。

それがしばらくして、平泉成のようになり
「母さん!母さん!」のモノマネができるようになり・・(笑)

でも、昔のようにバンドで大好きな歌を歌うのは
難しいです。音域も狭まったし、何より本人は残念でしょうね。

でも、つんくのように声そのものを失ったわけではありません。

この辺は、患者本人にしてみればもっとシビアな問題でしょう。
私は命が大切で声を失ってでも助かって欲しいと思いましたが
簡単に、そんなの、別にいいじゃん!では片付けられないですよね。

パパのがんは原発が見つからない

いまだに見つかりません。

人間の体は毎日3000億個の細胞が作られ、同等数が死んでいく
のだそうです。
転移した後に無くなることも多いということです。

正式名称は『原発不明癌頸部リンパ節転移』

パパは
がんのできた場所が近いこともあり、年齢が近いこともあり、
今は堀ちえみを応援しています。
同じようなところで同じように落ち込んだり、元気をもらったり
自分と重なるんでしょうね。

次回はがんと気づくまでのことを書きますね。

 

パパのがん闘病記その2へ続く

 

 

 

 

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まむきょん
まむきょんと申します。 音楽とオカメインコと美味しいお酒と美味しい食事があれば 毎日HAPPY(^^♪ がんの看病も介護もへっちゃら!! 夢は鳥カフェオープンです。よろしくお願いします。