がんとわかるまで
パパは会社員です。
根っからの営業マン。
若い頃は広告代理店で
靴が1ヶ月ですり減って使い物にならなくなるほどの
足で稼ぐバリバリの仕事っぷりでした。
その後、数度の転職によりある工具メーカーの営業所の
所長となり現在に至ります。
会社はパパの入社により売り上げもあがり工場の生産も
順調に上がっていましたが、世の中の流れにより
中国やその他アジアへの工場の進出、
及び現地では日本人が管理することが重要となり
中国への単身赴任3年から5年と
白羽の矢が立ってしまったのでした。
娘の大学進学とも重なり
悩んだ末、パパは単身赴任を断り、
会社での居心地が悪くなり、でも、
立ち上げには絶対必要な人材だったので、
月の半分は出張という期間がしばらく続いていました。
ある程度落ち着いて、しばらくは行かなくてもいいかなと
戻ってきたのは、ゴールデンウィーク直前の4月後半の頃でした。
娘が大学2年でアメリカの大学に1年留学し、帰国する直前でした。
もともと潔癖症と言ってもいいくらいのきれい好き。
お部屋の掃除も私より上手いし、
お皿も洗ってくれるパパです。
中国でも営業であちこち飛び回っていたので、
ホテルなどもピンきり・・衛生面でもちょっと
ん・・・?と困るようなところも未だにあり、
そんなこともいろいろストレスに
感じていたころでした。
まずはかかりつけのお医者さんへ
出張で風邪もらったかなあ・・?喉が痛い・・リンパが少し腫れてて
ころころする・・と言い出し、いつもの病院(近所の医院)に
行きました。
案の定、先生はろくに触りもせず、
ゴールデンウィーク前だし1週間分の風邪薬と抗生剤を出しときますね・・と
お薬を処方されて帰ってきました。
私はと言えば、その年の1月から原因不明の全身じんましんが始まり
皮膚科でも原因わからず、会社に行けなくなってしまい、
心療内科に行き、『うつ病』と診断されて、会社を辞め、
傷病手当をもらいながらしばらく通院をしていたころでした。
↑こちらのお話はまたの機会に・・(--)
さて、ゴールデンウィークはお友達を家に呼んで
無理やりライブ(アンプラグド)
フォークギターとエレピで夫婦演奏。
など楽しくやっていましたが
お薬が終わる1週間を経過しても
首のリンパのころころはちっとも良くならず、
それどころかますます大きくなってきました。
写真(後姿)
最後には首が曲げられないくらいに腫れが広がっていました。
ゴールデンウィークが明け、
再び病院を訪れたら・・
先生の顔色が変わり、
ちょっと大きい病院へ行ってみましょう。
紹介状を書きます。
「一番近いところ、次に近いところ どっちがいいですか?」
「どっちも行ったことないし、一番近いところでお願いします」
「今回の診察代はいらないです」←これは・・?お詫びってこと?
それ以降、そこの病院に行くのはやめました・・・家族全員。
そして、1番近いという少し大きめの病院へ
パパのがん闘病記 その3 へ続く