mohamed HassanによるPixabayからの画像
パパのがん闘病記のおまとめ(中間報告)
決して辛いとは思っていなかったのですが、
今回ブログでパパのがんについてを書き続けるうちに
過去の辛いことを思い出して、手が止まってしまうことが
少し出てきたので、ここで少しまとめてみます。
誰にでも起こりうる出来事ですが、
ある日突然始まるのですね。
そして、
単なる風邪ではなかった場合、
いつも行っている病院での対応について
疑問を抱くことになります。
大抵の場合、
のどが痛い、リンパが腫れた・・など、
ちょっと喉見て、(前の先生はそれすらしなかった!)
「うん。風邪ですね」とかで
済んでいたので
まさかこんな大きなできごとになるなんて思わなかったです。
大きい病院でなければわからないこと、
検査できないこと・・たくさんあります。
設備があるから、大きいから、だけでは
診断できないこともあります・・
ここで、まごまごしている間に
刻一刻と時間は過ぎ、がんは大きくなっていきます。
できればもっと迅速にスムーズに行動したかったと
悔やまれるところです。
看病側ではなく、一緒に頑張る家族として
がんと診断されてから、
治療方針を決めるまで・・
パパ本人の気持ち次第と思っていたけれど、
家族の気持ちも当然必要です。
というか、家族が同じ方向を向いていないと
どうすることもできません。
パパは美味しいものを食べて美味しいお酒が飲めないなら
生きていてもしかたない!なんて
昔から豪語してました。
だから、がんではなく、がんもどき・・なんて言葉に
揺れるんです。
でも、家族はみんな、パパが居なくなったら困ります。
まず、
私自身はパパの配偶者であり、家族の一員。
実際に患者だったのはパパです。
(頭が)痛い、(治療が)辛い、
(喉が)乾く、(味覚が)無くなる、
(髪)が抜ける などなどの実感は
私自身のものではなく、見た感じと
パパの申告のみで書いています。
でも、大黒柱を失うかもしれないという
感覚は、人生初めての体験ですし、
娘も学生だったし、先の不安がとてもあり
もちろん、大切な家族を失いたくない思いも・・
ただ、それを思ったり口にするのは
目の前にいるパパには当然してはいけない(と思っていましたし)
明るく過ごすことが一番のお薬と
肝に銘じて日々を過ごすことに集中していました、
そうです。私は家族です。
この立場、意外と理解者が少ないことに気づきました。
そして、
あまり内情を知らない人に、
そんなこと言っちゃいかん!と怒られることもけっこうありました。
くどくどと、周りはこうあるべき!と言われることもありました。
ここまではパパと私だけでなんとか対処していましたが、
娘が留学先のアラスカから1年ぶりに帰国した娘が
とても心強い味方として助けてくれるようになります。
精神的にとても頼りになりました。
家族ってありがたいものです。
その6から、その8までは手術に関するもろもろのことです。
毎日毎日しんどかったけど、そこまではなんとか
持ちこたえました。
でもそれで終わりではなく、それからの方が
大変でした。
抗がん剤、放射線の治療が始まったからです。
治療については病院の空き状況などもあるし、
順序も人それぞれ違いますが、
手術が終わって一度退院すると
これで終わりかな・・なんて考えてしまいますよね。
でも、その頃には、ほぼ自動的に
まるでベルトコンベアに乗せられた商品のように
流れが決まっているような・・
抗がん剤投与も放射線治療も全て日程が組まれて
入院、退院を繰り返し
50回の放射線治療を受け続け・・
夏が過ぎていきました。
何を言われても、いちいち説明も反応も面倒でした。そんな余裕も無かったし
そんなある日、
まだ放射線の治療中の 夏の暑い日です。
夜中に全身にじんましんが出て、耐えられないくらいかゆくなり、
呼吸も苦しくなりました。
アナフィラキシー症状で喉まで蕁麻疹が出たためです。
娘と治療中のパパが車で救急病院まで同行。
過去に同じくらいじんましんが出たのは
その前の年に勤めていた会社が大変だった時期と重なり
母(みえちゃん)を実家から近くの施設に呼び寄せ
意地悪な親戚たちに罵倒されたときでした。
相当ストレスがひどかった時です。
皮膚科では原因がわからず、心療内科で
「うつ病」と診断されてしまいました。
その後、会社を辞め、けんぽで傷病手当を
もらいながらゆっくり治そうと思っていた
矢先にパパの病気がわかったのでした。
自分のうつ病、忘れてた・・(笑)
あー、そうだった!!
私、そういえば病気でした。(笑)(笑)
会社を辞め、母を呼び寄せ、ストレスが軽減されて
症状が薄れていたので、
それっきり治療もせず、治ったつもりでした。
でも同様?それ以上のストレスにより、
身体がまたじんましんを出すことによって
警告してくれたんですね。
原因わかりましたので、続けます(^^)
ここに、書き出すまで、
それをすっかり忘れていました。
なんだか、できる限り頑張ってしまう性格のようです。
私の病気は、自分の気持ち次第で、
ある程度コントロールできると
思っています。
症状が出るまでに気づけばなんともないですが、
いろんなことが重なってしまったり、
仕事などで思いもしない状況になったとき、
どうやら出てしまうので、
気持ちを楽にして、
続けようと思います。
では、次回の
⇒パパのがん闘病記 その11へお話を進めましょう。