パパのガン闘病記

おまとめ記事:パパのがん闘病記について 少しまとめてみました。(1~10)

 
mohamed HassanによるPixabayからの画像

パパのがん闘病記のおまとめ(中間報告)

決して辛いとは思っていなかったのですが、
今回ブログでパパのがんについてを書き続けるうちに
過去の辛いことを思い出して、手が止まってしまうことが
少し出てきたので、ここで少しまとめてみます。

 

誰にでも起こりうる出来事ですが、
ある日突然始まるのですね。

⇒パパのがん闘病記 その1はこちらから

 

そして、
単なる風邪ではなかった場合、
いつも行っている病院での対応について
疑問を抱くことになります。

大抵の場合、
のどが痛い、リンパが腫れた・・など、

ちょっと喉見て、(前の先生はそれすらしなかった!)

「うん。風邪ですね」とかで
済んでいたので
まさかこんな大きなできごとになるなんて思わなかったです。

 

⇒パパのがん闘病記 その2 はこちらから

 

大きい病院でなければわからないこと、
検査できないこと・・たくさんあります。

設備があるから、大きいから、だけでは
診断できないこともあります・・

ここで、まごまごしている間に
刻一刻と時間は過ぎ、がんは大きくなっていきます。

できればもっと迅速にスムーズに行動したかったと
悔やまれるところです。

⇒パパのがん闘病記 その3 はこちらから

看病側ではなく、一緒に頑張る家族として

がんと診断されてから、
治療方針を決めるまで・・
パパ本人の気持ち次第と思っていたけれど、
家族の気持ちも当然必要です。
というか、家族が同じ方向を向いていないと
どうすることもできません。

パパは美味しいものを食べて美味しいお酒が飲めないなら
生きていてもしかたない!なんて
昔から豪語してました。

だから、がんではなく、がんもどき・・なんて言葉に
揺れるんです。
でも、家族はみんな、パパが居なくなったら困ります。

⇒パパのがん闘病記 その4 はこちらから

 

まず、
私自身はパパの配偶者であり、家族の一員。
実際に患者だったのはパパです。
(頭が)痛い、(治療が)辛い、
(喉が)乾く、(味覚が)無くなる、
(髪)が抜ける などなどの実感は
私自身のものではなく、見た感じと
パパの申告のみで書いています。

でも、大黒柱を失うかもしれないという
感覚は、人生初めての体験ですし、
娘も学生だったし、先の不安がとてもあり
もちろん、大切な家族を失いたくない思いも・・

ただ、それを思ったり口にするのは
目の前にいるパパには当然してはいけない(と思っていましたし)
明るく過ごすことが一番のお薬と
肝に銘じて日々を過ごすことに集中していました、

そうです。私は家族です。
この立場、意外と理解者が少ないことに気づきました。
そして、

あまり内情を知らない人に、

そんなこと言っちゃいかん!と怒られることもけっこうありました。
くどくどと、周りはこうあるべき!と言われることもありました。

 

⇒パパのがん闘病記 その5 はこちらから

 

ここまではパパと私だけでなんとか対処していましたが、
娘が留学先のアラスカから1年ぶりに帰国した娘が
とても心強い味方として助けてくれるようになります。

精神的にとても頼りになりました。

家族ってありがたいものです。

 

⇒パパのがん闘病記 その6 はこちらから

 

その6から、その8までは手術に関するもろもろのことです。

毎日毎日しんどかったけど、そこまではなんとか
持ちこたえました。
でもそれで終わりではなく、それからの方が
大変でした。

抗がん剤、放射線の治療が始まったからです。

治療については病院の空き状況などもあるし、
順序も人それぞれ違いますが、
手術が終わって一度退院すると
これで終わりかな・・なんて考えてしまいますよね。

でも、その頃には、ほぼ自動的に

まるでベルトコンベアに乗せられた商品のように
流れが決まっているような・・
抗がん剤投与も放射線治療も全て日程が組まれて
入院、退院を繰り返し
50回の放射線治療を受け続け・・
夏が過ぎていきました。

⇒パパのがん闘病記 その9 へ

何を言われても、いちいち説明も反応も面倒でした。そんな余裕も無かったし

そんなある日、
まだ放射線の治療中の 夏の暑い日です。
夜中に全身にじんましんが出て、耐えられないくらいかゆくなり、
呼吸も苦しくなりました。
アナフィラキシー症状で喉まで蕁麻疹が出たためです。

娘と治療中のパパが車で救急病院まで同行。

過去に同じくらいじんましんが出たのは
その前の年に勤めていた会社が大変だった時期と重なり
母(みえちゃん)を実家から近くの施設に呼び寄せ
意地悪な親戚たちに罵倒されたときでした。

相当ストレスがひどかった時です。

皮膚科では原因がわからず、心療内科で
「うつ病」と診断されてしまいました。
その後、会社を辞め、けんぽで傷病手当を
もらいながらゆっくり治そうと思っていた
矢先にパパの病気がわかったのでした。

 

⇒パパのがん闘病記 その10へ

 

自分のうつ病、忘れてた・・(笑)

あー、そうだった!!
私、そういえば病気でした。(笑)(笑)

会社を辞め、母を呼び寄せ、ストレスが軽減されて
症状が薄れていたので、
それっきり治療もせず、治ったつもりでした。

でも同様?それ以上のストレスにより、
身体がまたじんましんを出すことによって
警告してくれたんですね。

原因わかりましたので、続けます(^^)

ここに、書き出すまで、
それをすっかり忘れていました。
なんだか、できる限り頑張ってしまう性格のようです。

私の病気は、自分の気持ち次第で、
ある程度コントロールできると
思っています。

症状が出るまでに気づけばなんともないですが、
いろんなことが重なってしまったり、
仕事などで思いもしない状況になったとき、
どうやら出てしまうので、
気持ちを楽にして、
続けようと思います。

では、次回の
⇒パパのがん闘病記 その11へお話を進めましょう。

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まむきょん
まむきょんと申します。 音楽とオカメインコと美味しいお酒と美味しい食事があれば 毎日HAPPY(^^♪ がんの看病も介護もへっちゃら!! 夢は鳥カフェオープンです。よろしくお願いします。